『夢の中に夢の終わりを』


















 「あれ。」

 思わず声が出る。すると流石に相手も気付いて、きょろ・と辺りを見回し、そして自分に気付いた。勢い良く振り回されていたトンボのスピードが緩む。
 「なんだ。ネズッチュじゃねぇか」
「だからその呼び方なんなんっすか」
まるで当然のように微笑みさえしながらその奇妙な呼び名を口にしたチームメイトに、子津は苦笑を漏らして小さくツッコんだ。首にかけていた泥まみれのタオルを外す。それを見て、相手・猿野も、握り締めたまま宙に浮かしていたトンボを地面につけた。どすっ、と鈍い音がする。
 「珍しいっすよ、僕より遅い人は。最近だと」
半ば感心しながらそう言うと、相手は酷く意外そうな顔をした。
「はぁ?そなの?…キャプテンとか、ほっぺ先輩は?」
「キャプテンは多分、御自宅で練習してるんだと思うっす。いっつもいないっすよ。鹿目先輩は…暗くならないうちになるべく帰っちゃうみたいっす」
 後半を少し可笑しそうに言い、そして猿野もあーなるほどなー・とおおっぴらに笑った。多分本人が居ればその場で滅殺(ただし実行人は三象)である。
「スバガキとかなんか、案外あっさり帰っちまうもんなー…で、ネズッチュはなんだ、いつもこんな時間まで一人でなんかやってるわけ?」
 多少からかいを含んだ声音に、少しむっとしたように口を尖らす。
「そっすよ。でも、最近は一人じゃないし…」
「へぇ?…お前の他に部の通常練習出てない奴なんていたっけか」
 真面目に悩んでいる猿野を横目に、子津は、そんな人物(謹慎中)が正に今目の前に・とか考えていた。ついこの間、練習試合から帰ってすぐに謹慎のウサを晴らすかのように暴れまくっていたことなどきれいサッパリ忘れているらしい。うらやましいほどに都合の良い頭である。
 そう、それに、同じように謹慎中の犬飼と辰羅川。あの二人も通常練習には出ていないはずだ。…が、練習に付き合ってもらっているのは別の人物。というか、野球部員ですらない。

 どうしてあの人は、お金以外信じないと言いつつも練習に付き合ってくれるんだろう。
 ふと思い、そして明日にでも訊いてみようかと思った。



 「…そだ。猿野くん、それで、君は何をしてたんすか?」
やっと当初訊こうと思っていた事柄を思い出し、訊いてみる。存外気楽な返事が返ってきた。
「練習」
「イヤそりゃ分かるっすけど」
 多少ツッコミ精神に基づいて慌てながら、いつもは居ないじゃないっすか・と再度訊ねる。すると、にこにこ笑いながら猿野は言った。
「別にー。ちょっとな、俺も、色々あったんよ。…だから、少し、真面目にやろうかって思っただけだ。」
 それだけそれだけ・と笑う彼は、部を(プチ)退部する前と後で、変わっていないようで微妙に変わっているようだった。

 多分、今の笑顔もその変化の一つなんだと思う。

 「…前言ってた、大切な人のためっすか?」
「あん?…あ、あーあー。うん、そうだ。」
こくこくと大げさなくらいに頷きながら、ばっ、とトンボを握った腕を真っ直ぐ前に、空へと伸ばす。
「俺、その人に逢えたから、前よりずっと良くなれたんだ。いや、前が酷すぎたからよ、今でもじゅーぶん良くって……なんつーのかな。誰かのために誰かと一緒に居られる。前の俺がどっか淀んだ沼とかだったらさ、今の俺は澄んだ池。川。んな感じ。だからなー」
 良く解らない比喩表現をぱらぱらと言ってのけた後、にかっと笑う。でも目はごく真剣に、前を見つめて。
「だから、俺、頑張ろうと思ったんよ。いや今までだって思ってたんだけどさ、なんか、前よりずっと、思うんだ。強くならなきゃ、勝たなきゃ、ってな」
「…、はあ……」
「……それに、」

子津の曖昧な相づちをあまり気にした風でもなく、ぼそ、と呟くように、



「負けられない人が、出来た。」





 その声が思いのほか低く真剣で、最初浮かんだ犬飼とはまた別のようだった。そして誰っすか・と思わず訊きかけた時、別の声が割って入った。
「お二人とも、まだいらしたんですか?」
 少し高くて、細い、可愛い声だった。


 瞬時に猿野が30cm、跳び上がる。



 「……?あの、猿野く」
「ななな凪さんッ、いらしたんっスかっっ!?」
「は、はい。ちょっと、救急箱の中身の確認とか、日誌の整理とかを。猿野さんと子津さんは、練習ですか?」
「はははいっ、そうっす!俺はバッティングで、ネズッチュは……ツッコミ?だよな」
「違うっすッ!」
半分涙でツッコミを入れるが、当の猿野にはあまり聞こえていないようだった。そう聡いわけでもない子津から見ても猿野は、そう、なんだか、ぽ〜っと……
 「…?あの…猿野くん、もしかして大切な人って鳥居さ」
みし。
 と、いう鈍い衝撃音が、子津の問いをかき消した。子津当人は頭にギャグ的なコブを作り地面に臥せている。微妙に彼も思慮が足りないのである。
「ははははは何言い出すんだかネズッチューはったくお茶目なんだからぁ〜…あ、俺はこれ片付けてきますッ、凪さん何か片付けるようなものはっ!?」
明らかに冷や汗を流しながらトンボを高々と空にかざして一気にそう叫び終えた猿野に一瞬呆気に取られるも、凪は控えめに「用具倉庫のカギの確認をしようと思っていたんですが…お願い出来るでしょうか」と言った。はいもちろんっ・と意味も無く勢いの良い返事がくる。

 土ぼこりと共に彼が消えた後、凪は恐る恐るといった風に、
「…あの、子津さん。……大丈夫ですか?」
「は、はいっす…えと、行かなくていいんすか?」
「え?」
「あの…猿野くんと一緒に……、鳥居さんなら自分で行きますって言うかなーと思ってたから……」
「…あ、ああ。いえ…子津さん痛そうでしたから。ちょうど道具も持っているし、」
ひょい、と手に提げていた救急箱をかかげて、
「手当てしてからお手伝いに行こうかな・と思ったんです。」
 にこっと笑った彼女の顔は何故か自分まで微笑んでしまいそうで、思わず考えを口にしてしまった。
「…鳥居さんって、天使さまみたいっす」
「はい?」
 かなり怪訝そうに訊き返されて、慌てていえなんでもとごまかそうとしたが結局ごまかしきれず。
「……あの、っすね。鳥居さんが微笑ってるの見てると、なんだか幸せな気がするんす。落ち込んでても、疲れてても、笑える気がするんすよ。部活中とかも、時々思ってたっすけど…やっぱそうだなぁ、って思って。」
 半分照れながらもごく真剣に話す子津に、こちらも微かに頬を染めて、
「そんな…私は、何も」
「だから、猿野くんがああなるのもあんなに一生懸命になるのも、分かる気がするっす」
「え?…猿野、さん?」
全くわけが解らない、と凪の表情は語っていたが、子津は微笑って、
「猿野くん、言ってたっすよ。鳥居さんのおかげで、今の自分は透明なんだって。」
途中の細かい比喩をすっ飛ばした為にかなり意味不明となったその言葉に、ますます凪は首を傾げた。
 手は、ついでに手当てしておこうと思った子津の手のために、消毒液をガーゼに含ませるべく動いている。
 「…よく…分かりません。」
「たぶん、分かんなくて良いんだと思うっす」
さっき猿野くんが怒ってましたから・と小さく付け加え、やっぱりきょとんと小首を傾げた凪にまた微笑った。
「それにね、猿野くんも、だいぶ色々変わってきてるみたいっすよ」
「え?」
「目が違ったから」
 呟くように言った子津のその顔も、さっきの猿野と同じようにじっと静かにどこかを見つめていた。強い想い。胸を潰すように押し膨らますように湧いてくる、何より大きな。
 届きたい高みが、あるのだ。何があっても負けられないことがある、譲れないものがある。
 そのために、僕は今ここに居る。


 多分、彼、も。
















 「…凄いですね」
「へ?」
「お二人とも。」
「…。はあ…?」
さっきとは逆に、子津の方が不思議そうに顔をしかめる。凪は微笑っていた。嬉しそうで哀しそう。
「なんだか……凄いんです。」
真新しい包帯を取り出し、子津のぼろぼろになっている手にくるくる巻いていく。
「私も、自分の夢くらい持っていたかったです」
「夢?」
「でも、良いんです。…自分で決めたことだから」
それから一瞬目を閉じ、それでも丁寧に、そう、殊更に丁寧に、包帯を巻いていった。

 少し、強く。



















 ちょうど手の処置が終わりかけた頃、再び砂埃と共にあの男が戻ってきた。
「ただいまーっす、凪さ…うお!?こらネズッチューてめぇ何してやがんだ俺の、いやみんなの凪さんにッ」
「わっ!?な、なんにもしてないっすちょっと手当てしてもらってただけでっ…」
「何ぃ!?」
後ろから首に腕をかけられ、あぷあぷ言いながらも必死に弁解。凪は最初ぽかんとして、それから少し笑ってしまった後でやっぱり真面目に喧嘩はやめてください・と止めに入った。即座に猿野は腕の力を緩め、子津が派手に咳き込む。直立不動で猿野の報告が始まった。敬礼でもしそうな勢いである。
「鍵はちゃんとかかってました!どーぞ安心してお帰り下さい!!」
「は、はあ……あの、」
「はいっ!なんでしょう!?」
「…えと……猿野さんも、手、痛そうですから」
ちらっと救急箱に目をやり、
「…手当て、させて頂けますか?それと」
気遣わしげだった表情が少し緩む。いつも通りの、優しい笑顔だ。

「もっと…力、抜いて下さい。」



 聞いて、ますます顔を赤らめて固まった猿野に、凪は子津と一緒になってくすくす微笑った。



































 貫きたいことがあって、遂げたい想いがあって。

 道は違う。けれど先は同じ。その先が、分からないとしても、




 夏まで。

 夏の先も。



 多分、ずっと。
















 夢の終わりが夢の中にあるように・と思いながら、  今を。














                                  -------------End.
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 コンビとしては一番好きかもしれない・と最近気付いた猿+子です。そしてやっぱり猿凪(笑) でも趣味で好きな子鳥も全開。いや、あの二人が同じクラスって知ったとき衝撃受けたんですけど私だけ?(ぇ)だってあんな可愛らしい二人がセットで教室にいるなんて…い、癒し系教室……!(汗) きっとわりとよく会話すると思うんです実は。でもどっちも野球大好きなのですぐ野球や部活のみんなの話になってると良い(笑)

 ここにある小説の中では新しめですが結構前に書いたやつなので、時間軸かなりズレてます。今現在の猿野なら合宿を経て「みんなのために絶対強くなりたい」って気持ちも持ってると思うんですけど、これはプチ退部+剣菱登場のあとなんでまだ凪さんへの思いと剣菱さんとの約束しか頭にありません(笑) しかしなんか色々詰め込みすぎて誰が主体なんだかよくわからん話になってるな…;;