02. であったころ(獅子鹿)


============================================================









 出会った頃。と、いえば。


「鬱陶しいのだ。寄るななのだ、お前なんか大嫌いだ」


 最悪だったと思う、ほとんど一方的にだけど。















 何もかも気に入らなかった。わけの分からないアウトロー精神とやらも、妙な所に「ッ」を入れる癖も、馬鹿みたいに明るく強気な性格、そしてプレイスタイルも。その態度は暑苦しかったし、何より、練習時にふざける奴が僕は大嫌いだったから。
 「鹿目ッ。今日こそは勝負しやッがれ!!」
「ストレート投げれば打ち取れるやつなんかと闘う気はさらさら無いのだ」
「んだとテメェェェ!」
「し、獅子川君落ち着いて……鹿目くんも、もう少し優しく断れないかな」
「優しく?牛尾、僕を誰だと思ってるのだ」
はん・と鼻で哂い、まだいきり立っている獅子川とそれを必死で抑えている牛尾に背を向ける。ああ馬鹿馬鹿しい、また無駄な時間を。そんなふうに思いながら、すたすたと歩き去って三象のところで黙々と投げ込みを始めるのが、ほとんど日課になっていた。
 そして、その頃の日課がもう一つ。

「鹿目。てめー調子に乗ってんじゃねーぞ」
「……。」

 口ばっかりで実力も何も無い、一年か二年早く生まれただけででかい顔をしている小虫どもの相手だ。






 奴らは決まって僕が一人の時にふらりと現れた。そのせこいやり口がまた頭に来る。別に、常時三象を連れ歩くことも不可能ではなかったけれど、そんなことをしたらまるで僕が奴らに怯えているみたいで癪だったのであえてそうしなかった。用が無ければ別行動。練習の合間、顔を洗いに行くときは一人で行く。
 するとしっかり奴らは現れる。そんなことをしている暇があったら練習したらどうだと言いたかっ…いや。一度言ったか、実際。その時の奴らの反応もやっぱり酷かったな、小学生並み。
 最初は僕の体格を馬鹿にしたり態度を批判するぐらいだった。だんだん理不尽な罵倒に変わった、小学校の道徳授業で「言葉の暴力」なんて紹介されそうな。それから少しずつ手が出始めて、初め胸倉を掴まれてそれから投げ出されるぐらいだったのが、最終的には腹とか見えない場所を狙って蹴られたり殴られたりするようになっていた。
 それでも僕は泣いたことなんか一度も無い。牛尾たちに打ち明けたり弱音を吐いたりすることだって勿論無かった。ただ毎日何食わぬ顔で部活に行き、好きな投げ込みをして、たまに一人になると現れる奴らを毎回睨みつけた、哂ってやった。殴られても罵倒されても。お前らはこんなことでしか僕を否定出来ないんだろう、その手でバットを振って僕の野球を否定することなんか出来ないんだろう。
 かわいそうなやつら。そう思っていた。そう思っていたから哂えた。どんなに自尊心を踏みにじられても体を傷つけられても、どうでもよかった。その一点において僕は奴らに完全に勝り、そしてそれは何をしても覆せない優劣で、誰よりも奴ら自身が痛いほど自覚していることだったからだ。
 かわいそうな奴ら、そう思っていた。そしてある時、口に出してしまった。いつになくしつこくなじられ、蹴り飛ばされたものだから、さすがに頭に来て。
 いつも通り、奴ら曰く『人を小馬鹿にしたような』笑みを浮かべ、すらすらと言ってやった。お前らはどうあっても僕に勝てないんだ、それが分かってるからこんなことするんだ、こんなことしか出来ないんだ、…かわいそうなやつら。
 そうしたら、ぱっと奴らの顔色が変わった。最初は蒼く、それから真っ赤に。この野郎・そんな言葉が聴こえて、その後一瞬目の前が真っ白になった。
 空白。
 それは本当に一瞬のことで、すぐに音も色も戻ってきた。同時にじんじんと断続的な頬の痛み。頭痛まで付いてる。暫くは全く状況が飲み込めなかったけれど、そのうちに思い切り横っ面を殴られたのだと悟った。気付かないうちに足はへたっていて、手の平は冷たい地面にはりついている。
 ぴり・と唇が痛んだので、ゆっくり手を這わせてみた。薄く血が付いた。ああ、切れている。
 奴らが何か怒鳴っているのが聴こえていた。頭にダメージを与えられたのは初めてだったから、ほとんど呆気に取られたような状態で何も考えられなくて、その怒鳴り声がどんな言葉を成しているのかは認識できなかった。次いで来た衝撃は腹に。倒れて頭も地についた。それから胸に圧迫感、僅かな視界と感触でそれが足だと分かる。踏みつけられているんだということも。
「お前っ……好い加減に、しねーと…!」
「………っ。」
痛くなかったわけじゃない。苦しくなかったわけじゃない。
 でも、負けたくなかった。


 気が付いたら口は開いていて、僕は言っていたんだ。哂って。


「――…下衆」



 僕を踏みつけていた奴の顔がまた瞬時に赤くなったのが見えた。
 再び振り上げられる足。胸を解放されて少し楽になったと思ったけど、上がった足がもう一度下りてこようとしている場所を悟ると戦慄した。
 僕の右腕。
「…、やめ……っ!」
咄嗟に叫ぼうとして、その言葉も止まってしまった。どが・と鈍い音がして、ああ終わったのだと一瞬思った。一瞬だけ。
 すぐに、痛みが無いことに違和感を覚える。
「…?」
右腕を見る。何も無い。奴の足も。壊れた腕も。
 そろそろと視線を上げた。僕の上に居たはずの奴が消えて、代わりに新しい影が。それは、その特徴の有るシルエットは、信じられないことに。
「――…獅子川…」
体は地面に投げ出したまま、ぽかんとして見上げていると、なんとなく朱色に煌めいて見える瞳がこちらを見た。にか・と笑えばのぞく白い歯。
「よォ、鹿目。平ッ気か?」
「あ、当たり前…っ。」
よりによってこんな所をこんな奴に見られた。獅子川の簡潔な気遣いの言葉にそのことを今更自覚して顔が熱くなり、慌ててがばっと体を起こした。色んな所が痛んだけれど弱音なんか吐かない、吐いてたまるか、そう思いながら。と。
「…っ獅子川!てめぇ……!!」
怒りに染まった声、その方向へ振り向く。するとさっきまで僕を踏んでいた奴が腹を押さえながら震えていた。座り込んでいる。一体どうしたのかと僕は瞬きしたが、
「なんだぁ、先輩。あんッな程度の蹴りでもう立てねぇのッか?」
と、獅子川が余裕の表情で言ったために大体のいきさつを悟る。要するに、僕の腕を踏みにじろうとしていた奴を獅子川が思い切り蹴り飛ばしたのだろう。
 悟ったが、理解は出来なかった。
「…なん、で……何やってるのだ、お前は!獅子川!!」
「ああッん!?何ッて、助太刀に決まってんだろーが!!」
「なっ……」
何言ってるのだ。そう叫ぼうとした時にはもう獅子川は跳んでいた。
 高く高く。そうして振り上げた足で奴らの一人の胸を蹴り、その勢いで拳を振ってまた別の一人の顔面を潰す。連続した鈍い音に、僕だけでなく奴らのほうも驚いて固まっていた。
 それからはもう酷いものだった。獅子川一人と奴ら五人ほどで大乱闘。それでも獅子川は化け物みたいに強くて、優勢で。
 だけど、気が付くとそのこめかみからはだらだらと血が流れ落ちていた。明らかに切り傷、いつ出来たのか何に切られたのかは分からない。
 結局、暫くしてやっと騒ぎに気付き駆けつけてきた他の部員により乱闘は終わった。奴らのほうは複数の打撲と捻挫、獅子川は幾つかの軽い傷とこめかみに切り傷一つ。その傷が結局何によるものなのか、奴らが刃物などを使用したのかどうかはうやむやにされた。
 処分は、僕は喧嘩の仲裁をしなかったとのことで少しお説教。奴らのほうは僕に対しての暴力の咎で一週間謹慎。そして獅子川は、奴らがそろって「獅子川が一方的に喧嘩を仕掛けてきた」と口裏を合わせたことや、元々素行が悪く喧嘩を重ねていたこともあって、一ヶ月の謹慎を言い渡された。
 奴はそれを聞いても笑った。ああそうですか・と言わんばかりに。
 僕は無表情で黙ってた。











 校門前。牛尾が獅子川に何か言っているのが見える。獅子川は親指なんか立ててやっぱり笑っているようだった、またアウトローだのなんだの言っているのかもしれない、本当に馬鹿。
 特に未練もなさそうにすたすたと校門から出てきた獅子川の前へすっと出る。最初獅子川は吃驚したように目を丸くして、それから笑った。
「…んッだぁ、鹿目かよ。珍しーなぁお前が自分から俺に近づいて来るなッんて」
「その妙に詰まる口癖やめろと言ったろう。……どういうつもりなのだ」
「どういうつもりッて、何が?」
「何ヘラヘラしてあっさり引き下がってるのだ。このまま黙って謹慎するつもりか?」
「謹慎なんざする気ねえッよ。学校は行かねーけどな」
「は……」
「これを機に世界でも見てくるわ。まァお前は今までどーり野球やッて…」
「なんなのだ!」
「あ?」
怪訝そうに眉をひそめた獅子川に構わず、怒鳴る。意味が分からない、理解出来ない、こいつはどうして。
「何が世界だ!お前それでいいのか?元々の奴らの相手は僕だったんだぞ?」
なんで。
「――なんで助けたのだ、僕なんか!僕は助けてくれなんて言ってない、お前なんかに助けてほしくもない!!あんなのいつものことだったのだ、放っとけばよかったのだ、そしたらお前が謹慎処分になんてなることもなかったのにっ」
「いつものことって…、いつも右腕踏まれてたわけじゃねーだッろう。」
さらっと言われて言葉に詰まる。
「俺様はアウトローだッかんな、セオリーには興味ねェ。常識もクソ食らえ。だが解んねーわけじゃねッえ」
とん・と額に圧力がくる。獅子川の人差し指が突き立てられていた。上向く顔、こちらをじっと見つめる鳶色の目。
「お前さんにとっちゃ、その天より高ぇプライドより何より優先さッれるもんだろ。それを守ってやんのがなんでおかしいんだッよ。」
「…っ、僕は、お前なんかに守って“もらう”ほど、弱くないのだ!」
「あのなッあ、強い弱い言ってる場合じゃなかッただろあの場合!助けられる位置に居た俺があそこでなんッもしねーんじゃ、俺の沽券に関わッるわ!!」
ぺち・と額をはたかれた。むかっときたが、すぐに今度はわしわしと頭を荒く撫でられる。あの頃から僕と獅子川の身長差は大きかった。
「や、やめろなのだっアホ!!離っ……」
「お前は強ぇッよ、鹿目。」
はた。と、抵抗して動かしていた腕を止める。目を丸くして、見上げた。やっぱり赤っぽく見える瞳。
「誰も弱いなんて言ッてねーだろ。俺だって牛尾だって蛇神だって三象だって、この学年の奴はみんな知ってら。媚びねーのはもちろんのこと、従いすらしねーッでむしろ口答えしやがる。ある程度の妥協も覚えねーでッよ」
「……」
「何言われても何されッても。それがお前のプライドだッて分かってっからよ、俺らもずっと黙ッてたんだよ。見てたんだよ。……ホントは、ずっと助けたかったんだぜ」
「な……に、言って」
「ま、それはともかッくな。…今はいい。みんな、それぞれ、自分なりに、耐えりゃいい。お前があいつらシカトしたり毒舌吐いたりして頭下げるの拒否ッたのも一つのやり方。牛尾とか蛇神とかはとりあえず従うけどぜッてー愛想笑いはしッねえ。俺は…まぁ考えんのもめんどくッせえしやりたい放題か。なんにしろ、今はいいッんだ。いつか…ッつーか、再来年?には、間違いなくあいつら消える。それまでの辛抱、みんなそう思ってる…でもな」
ばっと手を伸ばし、鹿目の右手を取る。ぐい・と引っ張って。

「大事な仲間の大事な右腕、辛抱もし終わんねーうちに潰されてたまッかよ!」

 唇を噛んだ。結局何も言い返せなくて。








 「…んじゃッな、鹿目。世界は広ぇしいつ帰って来れるか分からッんが、まぁ俺なりに頑張って来るわ!」
ぱ・と手を放して、にかっと笑って。くるりと向けられた背に、
「――獅子川!」
名を呼んだ。思い切り、出来るだけ大きな声で。
 不思議そうに目を丸くして振り向く大嫌いな顔。睨みつけながら、少しためらって、
「……きず…こめかみの。大丈夫なのだ?」
「は?…あー、これな。べッつに、ちィとばかし派手に血出ただけで大したことねえッよ。…なんだ、心配してくれたんか?」
「し、心配なんか……っ」
言葉に詰まり、黙る。暫く首を傾げながら次の言葉を待っていた獅子川も痺れを切らして何か言おうとしかけたその時、
「…帰って来たら」
やっと口を開いた。ぽつりと。ともすると聞き落としそうなその声に、きょとんと目を丸くして、聞き返す。
「あ?…帰って、来たッら?」
「帰って来たら、勝負するのだ」
「……」
今度は驚きで目が丸くなった。黙ってこちらを見る瞳は、その後ろで燃える朱い陽に似ている。
「してやるのだ、勝負。やりたがってたろ。だから、その広い世界とやらで遊び呆けて、野球をおろそかにしたりしたら。…承知しないのだ」
やっと言うと、少し間が空いた。そうして、獅子川は、
「…おうッよ!!」
笑って、威勢良く返事をした。



 それから獅子川は半年ほどしてひょっこり帰ってきた。牛尾や蛇神なんかは笑って迎えて、僕はむすりとしたまま無視しようとしたけどすぐに捕まって「勝ッ負だ、鹿目!」の一言で強制的に三球勝負をさせられた。結果は僕の勝ち。まぁ結局獅子川の馬鹿が直球克服を全く怠っていたというだけの話だけど。
 こめかみの傷は白く筋になって残っていた。けれど、その後また違うときに旅に出て、帰ってきたらずっと大きく派手な傷を作って帰ってきたので、今ではもうどこにその傷があったか分からない。

 まぁとにかくそのあと一年半弱、僕も獅子川も相変わらずで。
 獅子川はしょっちゅう謹慎という名の放浪旅に出ていたし、僕はそのたび何か言ったり何も言わなかったり。
 そうだな、結局ほとんど変化なんて無かったんだな、僕と獅子川なんか。別に特別一緒にいるようになったわけでもなし、打ち解けて会話するようになったわけでもなし。


 でも一つだけ、多分、結構根本的なところで。
 変わったことがあると、思う。






 「鹿目ーッ!オイ、投げろ投ッげろ!俺打つからよ!!」
「はァ?馬鹿も休み休み言え、僕は三象と新球開発するのだ、ストライクゾーンの直球すら打てない馬鹿は投球マシーンに相手してもらってろ」
「んだとコラ!じゃーテメェ自慢の剃刀投げてみッろよ、ぜッてえ打ってやッからなー!!」
「ああもう、うるさいうるさい…しょうがないのだ、一球だけだぞ」
「おお、よッしゃ!お前も話分かるよーになッたよなー、鹿目」
「…うるさいのだ、お前が鬱陶しいからとっとと消えて欲しいだけなのだ」
「でも笑ッてんじゃねーか、お前」
「……うるさいのだ。」







 ――変わったこと。

 相変わらず奴は鬱陶しいし暑苦しいし練習時にふざけるのも気に障ることこの上ないが。





 “獅子川文”という人間それ自体は、別に、嫌いではないんだ。













--------------------------------------------------------
 思いがけず長くなってしまって…; わざわざお題ページ作ることを決意させたお題です(笑)
 元々獅子鹿過去話は結構前から考えていて、一度書きかけたこともあったんですが詰まってしまったので放置してたんです; で、お題がぴったりだから、せっかくなので・と一から書いてみたら進むのなんの……;
 長くはなりましたが、なんとか出来て嬉しいです。獅子と鹿はドライだけど実は信頼してる感じがツボv

 あ、忘れてた(汗) 最初獅子川兄貴の傷は顔真一文字に走る予定でした。要するに、回想シーンで旅に出る前は傷が無かったのを承知の上で、あの傷が鹿目さん守るためについたんだったら面白いなーと妄想し始めたのがネタの最初だったわけです(笑) 書くうちにどうしても場面とそぐわない気がしてきて中途半端にやめてしまいました;; なんだかなー…なんとなく気に入らないんだよな そうするともう書けないんだ畜生ハンパな凝り性め…!(泣)